続・前後型6種
- 湯本裕二

- 10月11日
- 読了時間: 2分
前回の記事で少し6種の人物像をネガティブに書いたかも、と反省。
体癖はどれも良い面悪い面トントンです。
また、体癖は混合するのが普通であって、一人の人間の中に様々各種の体癖が混じりあっています。
それはそれとして、6種は5種とはある意味対角にあって、この世に居てこの世に居ないような人たちです。
逆に5種は現実に接合し過ぎています。
いわゆる現実に過剰に適応しすぎているというか、つまり過去ですね。
過去の堆積からなる残骸としての現実の構造の最適解としての自我を堅牢に構築しています。
5種には未来がないという言い方をしてもよいですが、それは、まあ言い過ぎです。
5種が観ている未来は経済的な未来で、数値によって構成されています。
6種の観ている未来はあくまでここではない何処かで、多くは非現実的なヴィジョン、匂い、によって引き寄せられるかの如く、人生が前進します。
線状の時間の外にある非線形の領野が未来として措定されている印象です。
私の身体には6種は入っておらず、日々の整体操法の中で、受ける6種の方からの氣の印象を記述しているだけです。
5種も6種も前後型といいます。
5種はグリッド上の現実の構造の上を実体として前進します。
そういった身体の構造をしているんです。
6種はグリッドの上の現実の外を幽体として前進します。
私には前も後ろも無いような氣がしますが、6種の方本人には前後の感覚があるようです。
5種も6種も前後型に共通するのは、後ろを振り返らないところです。
ここは共通しています。
前進あるのみ。
7種8種の捩じれ型は何だかんだで捩じってますから、後ろを要所要所で振り返ります。
私からすると、前しか見ないというのは潔さを感じます。
特に6種の嗅覚(五感の中にある嗅覚ではなく、存在しないものを嗅ぎ分ける方の嗅覚です)で観ている未来は、私にとっては常に示唆的で、6種の芸術家の作品に記載されている未来のイメージには、何度も救われて来ました。
これは文字通りです。
本当に命を救われてきました。
それぞれの体癖で命の救い方のスタイルが違うんです。
いずれにしても、6種の未来観は古代より人類に必要なものだったんだと思います。
未来のヴィジョンを正確に描けるのは6種だけですから。



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