体癖、前後型6種
- 湯本裕二

- 10月6日
- 読了時間: 3分
6種の方は総じてニ側(脊椎より指二本分外)が柔らかい。
ずっと何でかな、と思っていたんですが、要するに、「現実に対して明確な姿勢を取らない」というような感受性がそうさせるんですね。
ようやく分かりました。
時間と場所が限定された特定の座標の中に自己を位置付ける均衡感覚が欠如しているんです。
6種の人は突飛な言動をしたりしますが、だからなんですね。
その感受性の反映として、二側が柔らかいので姿勢の悪い人や、身体が柔らかい人が多いです。
二側を押さえても手ごたえがない。
鉄筋コンクリートでなくて、ゴムでできた家みたいな感じです。
押さえていくと、クラゲの様に逃げられます。
一側とか三側の人なんですね。
その中でも身体が捩れている人がいるんです。
でも捩れているけど、捩れ体癖(7種、8種)ではないんです。
それは腰椎3番が捩じれていないからなんです。
捩れ体癖は基本的に絶対ここが捩じれているんです。
で、6種で捩れている人って、別の処が捩じれるんです。
その椎骨に不調や症状が生じるんですよ。
左右型(3種、4種)が混合で入っている人には顕著です。
前後の動きに左右の重心の偏りが混じるので、身体が螺旋の様に捩れるんです。
でも、捩れ体癖とは違うんです。
そういう、捩れの感受性をしていないんです。
力学的に身体が捩じれているだけなんです。
そこで、体癖修正という発想が生まれるんです。
先日身体に石を作っている方が来られたんですけど、胸椎10番11番という腎臓の椎骨で捩じっているんですね。
だから、そこに症状として石ができたりするんですけど、問題は腎臓になくて、前後と左右の偏りで身体が捩じれてその支点の腎臓に症状が現象するので、治すというなら腎臓では無くて、体量配分なんです。
身体の許容範囲以上の偏りを修正することで、特定の臓器の症状がおさまるんですね。
病を観ないんです。
症状は現象なんです。
野口晴哉のいう「治療を捨てた」っていうのはそういうことなんですね。
話を戻すと、感受性と体癖が一体なら、元々のその人の体癖と、その人のやりたいことを肯定したいと、深く思いましたね。
変りようがない、元々の魂と身体が一つになっているところですね。
そこを十全に生かすための整体操法であるべきなんです。
病を治すというのは、副次的な指標にはなりえますが、人生の本質ではないと思います。
毎日いらして下さる方々のお陰で人間に対する多くの知見が得られ、目が開かれます。
いつもありがとうございます。
この場を借りて感謝を申し上げます。



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