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整体操法の設計、基本構造、歴史

ツボとしては合谷という処があります。

 

野口整体ですと上肢第二という名称になっています。親指と人差し指の間の水かきです。

 

様々な用途で使える処です。ほとんど何にでも使えます。

 

歯痛、車酔い、便秘、などあまり一貫性が無いような感じの処なのですが、ここは要するに、親指と人差し指の間ですので、頭と消化器の中間地点でして、つまり神経と消化器と、その複合点である感情に働きかける処なんですね。

 

そう理解すると分かりやすいと思うんです。

 

野口整体の使い方というのは、ただツボとしてそこを押さえるそのツボに於ける効果を発揮させる、というのではなく、他の調律点と呼ばれる処と関連付けて氣を通して身体を変化させていくんです。

 

例えば、上肢第一は掌の中心にあって、ツボとしては鎮心という名称があります。

 

心を静める処で、自律神経系に効きます。

 

例えば上肢第二を押さえる時に、上肢第一も同時に押さえると、氣が、自律神経系に働きかける方向性になります。

 

上肢第一によって、上肢第二の方向が狭まるんです。

 

さらに頭部第一という処があって、額の髪の生え際ですが、ここは頭や身体の働きを鈍らせる効果があります。

 

ここも同時に押さえると、より身体がぼーっとしてきます。

 

さらに上肢第二の効果が狭まります。そしてその分、氣は圧縮されます。

 

それに加えて、手首にある上肢第三という調律点、ここは関節になるんですが、例えばこの(上肢第三に関しては氣を通すというより)関節を矯正します。

 

ここからが、野口整体の面白さで、針や灸には無い部分なんですが、関節を動かして、手首を引き締めると、大雑把な言い方をすると、頭が引き締まるんです。

 

すると、上肢第二によって変化した感情も引き締まるんです。

 

さらに腰椎3番という腰の骨も動きます。

 

腰も変わるんですね。手首を使って。

 

骨盤の後屈の矯正にも上肢第三を使います。

 

ここからさらに足の関節の矯正をしますと、重心が動きます。

 

重心が動きますと、身体の上の方の骨も動きます、そうすると、ここから、さらに最初の上肢第二を押さえた効果が変化するんです。

 

足を使って、呼吸を変えるような方向に身体を持っていくとすると、さらに神経を鎮静させるような効果は倍増します。

 

こういった操法の設計を間違うと、それぞれ押さえた調律点の効果を相殺することもあります。

 

上肢の調律点は7つしかないのですが、他の部位の調律点と掛け合わせて使うと無限の広がりをもつのです。

 

考え方はミニマル・ミュージックと同じようなもので、反復と組み合わせによって、一つの音の意味が曲中で何度も変化するんです。

 

野口整体の技術は、氣を通して変化を促すということと、骨や筋肉を具体的に動かして姿勢や血行を変えるということと、言葉で無意識や潜在意識に働きかけて自我の構造を変えるということと、を複合して行うことに要諦があります。

 

目的は、健康な人生を全うするための身体を育てることにあり、病氣治しは副次的な指標にすぎません。

 

野口整体には戦前戦後の様々な技術が混在しているのですが、自分が操法する立場になってみると分かるのですが、その取捨選択のセンスが本当に天才的なものです。

 

氣に関しては、江戸期から続く氣合術や霊術。

経穴や経絡に関しては、東洋医学。

カイロプラクティックやオステオパシーなどの手技療法。

それからフロイト以前の催眠術から以後の心理学。

その他様々な民間療法を取り交ぜて整体の型を作られました。

整体操法制定委員会という会が戦中戦後にあって野口先生はその会長だったんですね。

 

頼まれてなさっていたそうですが、人体や健康に関する統一理論と技術を作りたかったんでしょうか。

 

その多くの知識や技術は失われており、教えることが出来る人間もほぼ現存せず、教わることも中々かなわないものとなりました。

 

私は古い資料を解読したりすることも好きで、細々とやっておりますが、まあ、私にできることがあれば可能な限り知識と技術をお伝えしますので、一度いらしてください。

 

よろしくお願い致します。

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