恐怖と不安
- 湯本裕二

- 6月24日
- 読了時間: 4分
野口整体ですと、恐怖は胸椎7番か胸椎8番で感じるということになっています。
私が教わった範囲では、漠然とした不安が7番。
対象のある恐怖が8番、ということになっています。
ところで、私は怖がりのわりにホラー系の動画などを観るのが好きなんです。
最近は映画より、YOUTUBEなどの動画の方が好きです。
現代の恐怖映画はあんまり怖くないんです。
現代の映画監督は皆シネフィルですから、映画史的記憶というのものがあって、画面構成も音響も編集もよく勉強していて、考え抜かれてますから、上手すぎて怖くないんです。
映像と音に関して、考えて欲しいポイントが違うんです。
ホラー系の動画というのは、基本的にフェイクドキュメンタリーです。
低予算の映像ですと、リアリティを補強するために、手振れや低画質を多用したドキュメンタリータッチの映像形式が採用されます。
ドキュメンタリー風、というだけで画面に吸引力が生まれますし、美術などもほぼ捨てることが出来るので自分の部屋などで即撮ることが出来ます。
衣装もメイクも貧乏くさくていいんです。
劇伴も不協和音で良いので、とりあえずはまあ簡単です。
役者も演技のリアリティはドキュメンタリーという形式に補強されるので、演じやすいと思います。
また美男美女でなくてもいいんですね。
日本のホラー映画観ていて、事務所の力で今風の俳優が出て来ると白けるんですね、その顔必要ないよって思います。
恐怖映画は美顔で画面に視線を惹きつけるのではなくて、恐怖で惹きつけなくてはならないんです。
美男美女は基本邪魔なんです。
性欲でなくて、恐怖に纏わる視線を映像と音で構成した作品が観たい訳なんです。
ようするにフェイクドキュメンタリーのホラー動画は、お金を掛けずに撮れるんですね。
で、この形式を踏まえているならば、そこに確実に恐怖が成立するのです。
映画をちゃんと勉強してきた人は、こういう形式の映像作品を撮るのは嫌なんですね。
映画人としてのプライドが許さないんですよ。
だからおおむね、はみ出し者の人たちが撮ってるんです。
YOUTUBEに「Q」というチャンネルがあって好きで観ているんですが、上述の形式の中で様々な恐怖のバリエーションを創作しています。
外側を固定すると、内側で何か動き出すんですね。
鑑賞していて感じるのは、視線が恐怖の対象を失った瞬間の不安感なんです。
また最大の恐怖は、説話が断片化して、文脈を見失った思考が自動的に視線の先の客体を探す時に提示される、空白。
これは、幼児が、いるはずの母親を見失った瞬間の視線と不安感と思考の空白の連携を再造形していると思う。
もちろん本質的な創作の動機は、この幼児期の恐怖を飼いならす為です。
ここで話を戻しますと、胸椎8番は対象のある恐怖の椎骨であると同時に、副腎とも関係しています。
つまり、対象があるから、アドレナリンなどのホルモンが出るんですね。
対して胸椎7番は漠とした不安感といわれていますが、同時に脾臓など、免疫系と関係しています。
つまり、対象が視覚的でないから、自他の境界が明確にならなくて不安なんですね。
胸椎7番は視覚と関わっておらず、ウイルスや細菌を通じて自他の境界の領域確定をするための椎骨で、体感としてはそれは不安であり、同時にこの不安が解消されることは死の瞬間まで訪れません。
この明確な恐怖と持続する薄い不安は、常時隣り合っていて、細やかに共鳴しています。
ここでまたホラー系動画に話をもどすと、これらの動画の本質は胸椎7番の不安感に支えられていて(私の内観です。間違いない)、正確には不安動画とも名指すべき映像群です。
不安動画は恐怖映画とは志向している椎骨が違うのです。
胸椎7番が不安で硬直すると、胸郭全体が固まりますが、胸椎8番が恐怖で硬直すると、鳩尾周囲が固まります。
仕事終わりにぼんやり、ホラー系フェイクドキュメンタリーを観ていて、椎骨に対する認識が深まった、という話でした。
怖すぎて、眠れなくなり、めちゃくちゃ寝不足になりましたが、連日連夜観た甲斐がありました。



コメント