夜になっても遊び続ける
- 湯本裕二

- 5月10日
- 読了時間: 2分
最近子供に誘われてよく近所の公園に行きます。
公園の周りを自転車でレースをしたりします。
ブランコでどっちが遠くまで飛べるか競争したり。
滑り台で「裏切りゲーム」なる遊びをしたりします。
先日はただひたすら壁に木の枝をぶつけてぶっ壊したりしました。
氣が付くと真っ暗になっています。
誰もいません。
真っ暗な公園で、そういえば、自分も子供の頃、暗くなるまで遊んだな~、と久しぶりに思い出しました。
大人になってからの遊びは明確に目的があるんですよね。
子供の遊びって本当に無目的なんです。
氣ままです。
ふと、自分の子供時代の映像を思い出すんですね。
暗くなってから、友達と別れて自転車で家に帰る感じ。
自分は団地だったんですけど、夕方の団地は夕飯の匂いとか音とか窓の光が上から落ちて来るんです。
そこを自転車で家に帰ります。
そういう映像を思い出しました。
その団地の雰囲氣は主に80年代までですね。
あの頃はまだ平和な雰囲氣でしたね。
最近はもう何もかもが変わってしまったと思いますが。
ただ、子供の、適当に遊んで適当に帰る感じを大人になって外から見ると、やっぱり創造の源泉はここにしかないと思い知ります。
非常に豊かな時間なんですが、子供たちは無意識です。
今が永遠に続くと思っています。
いずれ終わりが来ることを、見ている大人は知っています。
子供と大人で持ち合わせているものが違うわけなんですが、共有している時間の質は、この時間を生きるために生まれてきた、と思うくらいに眩しいものです。
氣が遠くなりそうなくらいです。
あと何年かで子供が離脱したら、自分はその時をどう思うのか興味深いものがあります。
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