生命力の発露としての不登校
- 湯本裕二

- 17 時間前
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不登校って何となくやる氣のない感じで見られますけど。
場合によっては違うと思うんです。
この地上の原理に従うということは言い方を変えると、転落するということなんです。
「罠にはまる」とか「天井が落ちてくる」とかそういう表現をする人もいます。
「天井が落ちてくる」と言ってたのはユングだったと思います。
彼は「罠にはまらない限り何も成し遂げられない」というようなことを書いていました。
それはその通りで、この地上の、現代日本の令和時代の原理に存在が転落しない限りは何も形にできません。
ただ、その場合、その人を私は生命力を十全に発揮しているとはみなしません。
そういう方は、生命の裡にある一部が欠損しています。
死に直面すると露わになる部分です。
この世の些事に価値を見出せなくなると、死に向かって生命力が沸き上がってきます。
この力は日常の意識では普通抑圧しています。
でないと、地上的な活動に支障をきたすからです。
私を含め、多くの人はかなりくだらないことに血道を上げて生きています。
日常の意識とはそういうものです。
普段は眠っているように生きています。
不登校の人は、観ていると、本当に本質的に生命力がある人がいます。
その生命力、生命感覚が押さえつけられるのが嫌で、学校に行かないんです。
校則とかそんな話ではないんですね。
端的に言って、そういう人は死が身近なんです。
それは現代社会では禁忌ですから、忌み嫌われます。
いずれにしても、どこかに落としどころを見つけないと社会の中での生存は難しいわけです。
社会で生きている人は眠っていて、死に向かっている人は覚醒しています。
私はただの怠け者としてここまで生きてきた訳です。
存在を眠らせるのでもなく、覚醒するのでもなく、怠け者として生きるのはたいへん難しいことです。
ゾンビのふりをして生きるんですね。
周りはみんな死んでるのに自分だけ生きてたら、場が白けるでしょ。
死んだふりをして、ただゆらゆら動くんですよ。
それが活元運動。
生命力を死に向かって浪費する動きなんです。
不登校のお子さんにはお勧めの運動ですよ。

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