性善説と性悪説
- 湯本裕二

- 8月11日
- 読了時間: 3分
人間の本性は悪。
これは科学的な思考を取れば当然の認識。
遺伝学、進化心理学、そして医学などを概観して行けば理解できる端的な事実。
人間の本質は悪なわけです。これは科学的に揺るがない。少なくとも私は人間の本質は悪であると思っている。
しかし、野口晴哉は性善説を説いたわけです。人間の本性は善であると。
でもこれはそのまま言葉通りに受け取るべきではないのです。
野口晴哉は人間の潜在意識、無意識の存在をかなり正確に認識しているからです。
かなり正確、というのは欧米の心理学者と違い、無意識の対象として人間の身体を観察していたからです。
身体を通して潜在意識や無意識の領域を確認していったんですね。
人間が言葉の意味に捉われていることであるとか、認めたとおりの人間として振舞うことを知っているのですね。
身体を触って確定していったんです。
そして野口晴哉はなによりも催眠術から出発したことを忘れるべきでないのです。
手技とか氣とか以前に、小学生の時に悪戯で催眠術を学んだことが、すべての始まりです。そこで彼は人間の無意識を認識したのです。
その時の経験から、人間というのは本性が善であると認めると、善なる振る舞いをすると知ったわけなんですね。
だから、人間の本性は善であるというのですが、これはまあ皆さんを催眠にかけているわけです。
悪と知っていて善と言っているんです。
野口晴哉に「潜在意識教育」という言葉があるのですが、人間を教育するのに、潜在意識に働きかけていく、というものですね。
教育を暗記や計算力と捉えていないんですね。
教育の本質を倫理的な処に於いているんです。
何を暗記しても暗唱しても、意味など無いのです。
人間の本性が悪だから。
何を覚えても計算しても、悪用しかしないのです。
教育の本質は何かと言うと、本性が悪である人間に善行を行わせるには、如何にすべきか、ということなんです。
「その為すところを知らざればなり」とかいうキリストの言葉がありますが、通常は知らずに無意識の行動の結果として悪を成すわけです。
ともかく、科学的事実としては性悪説。
教育としては、性善説を説くべきです。
これも疑いのないことです。
無意識とは意識の外のことで、多くは身体の領域です。
意識しない動作であるとか、衝動、表情、内臓の働き、歴史や、言外の意味、二人の人間の意識と意識の間、呼吸の間隙、服装の乱れ、言い間違い、言い淀み、怪我、病氣、速度、度合い、視線の動き、忘れた想い出の想起、自分の子供、先祖、妊娠、など多くを孕みます。
こういったことすべてが、教育の、整体の領域になります。
そしてすべてが健康と関わっています。



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