レコードは重い
- 湯本裕二 
- 9月15日
- 読了時間: 2分
重量ではなく念。
18才くらいの時に聴いていた音楽を聴くとしんどい訳です。
私の場合は誰ともほとんど何も共有していなかったので、当時の高校生が絶対に聴かなかった音楽を独りで聴いていたんです。
その頃の感じを思い出すんですね。
変ったサウンドを聴いてしっくりくるのは、元々変わった感情を持っているからなんです。
だから、そういったレコードを今聴いても当時の孤独感と特殊な感情が惹起されます。
当時はスマホどころか携帯もポケベルさえない時代です。
今の高校生とは自我の形も感情の質も全然違うんです。
でもまあ変人ていうのは高校生から変人なんですよ。
その時代に買った古本とかレコードは念が籠っていて、49才の今の自分からするとかなりしんどいんですね。
サウンド自体の念と、そのレコードに対する当時の自分の念とで二重に念が梱包されているんです。
CDは割と氣軽なんだけど、レコードは重いですね。
レコードって傷がつくと同じ処で針が飛ぶでしょ、すると思い出すんですよ。
18才位の感覚を。
CDとかデータで音楽を聴いても針飛ばないですからね。
針が飛ぶって大きいことで、自分のレコードしかそこで針飛ばないですからね。
17才の時にレコードに傷を付けてしまった記憶とかが蘇るんですね。
その時の光景とか。
「しまった!」という感情とか。
曲を聴いていて、その針が飛ぶ処に迫って来るとドキドキするんです。
でも、売る訳に行かないですからね。
アナログタトゥー。精神的な。
徐念をするには自分で音楽を作るしかないんですよね。




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