姿勢を変えたいという人がいます。
端的には、左右と前後をシンメトリーにしたいということです。
そもそも論で言うと、日本では昔からシンメトリー、左右対称を美とは認識していない。
必ず一点を意図して歪ませています。
人間の裡に自然を観ているんですね。
人間は何処かに向かっているから、身体が歪むんです。
静止していたら歪まないんです。
人生は止まっていないんです。
氣から始まっていると仮定して、つまりそこで何かを感じるから、背骨が動くんです。
氣が実在しない虚であると仮定すると、虚が背骨を動かして、何かを獲得するために身体が動くんです。
氣って無いんですよ。
見えないじゃないですか。
その無いものが身体を感じさせて動かしているんです。
経験上分かるはずです。
普段見えないものに動かされてるじゃないですか。
姿勢に話を戻すと、人間をその姿勢にしているのは見えない氣なんですよ。
なのにそこで押したり、引っ張ったりして身体をシンメトリーにするのは無駄で無意味なんですよ。
必ず元に戻ります。
姿勢をその姿勢にしているのは、見えない氣ですので、その氣に対する感受性を広げれば、少し変わります。
この少し変わる身体の振幅を野口整体(の一部の流派)では体勢と呼んで、どうやっても変わらない身体の歪みを体癖と呼びます。
これは私の研究課程における現在の定義です。
何処かに形象としての完全な身体があり、その型に自分をはめ込むというのはよした方がいいです。
歪んだ身体は自然の裡で、ある特定の目的を達成するのにあたって、完全な姿勢であると、認識をして欲しいです。
目的を達成すると、また別の姿勢に流動します。
身体は、その繰り返しの高低の波の中に居て、姿勢はその表れなんです。
だから、動きの流れと波に竿を指すのが、整体操法の目的となります。
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