即興
- 湯本裕二
- 3月23日
- 読了時間: 2分
先日いらした方に、「前回のが良かったからまた同じことをやって欲しい」というようなことを言われたんですね。
これが、同じことをもう一回やってくれといわれても出来ない(笑)。
同じことをやっても、受ける側が同じように感じないのです。
自分は毎回、型通りに動いているだけなんです。
お身体を拝見して、その場で操法を設計するわけですが、それは型の組み合わせなんですね。
ある意味何も考えていないんです。
「すごくよかった」と言って下さる時もあるのですが、自分では分かりません。
その日その時の我々の身体の調子と波と季節と、様々な要因が絡まりあって、その日の操法になります。
いい時も悪い時もあるようです。
即興で音楽を演奏するのと同じです。
最低限のテーマとコード進行を決めて後は運を天にまかせるんです。
芸人に永野さんという方がいます。
私は永野さんを深く尊敬しているのですが、彼の本に「持ち前の他力本願な、神にまで仕送りを要求するような考え方に落ち着いたのです」という一節があります。
凄い文章です。
かんたんな言葉の組み合わせですが、こういう境地を明確に言語化することはかなり難しいです。
一人の大人として、こういった考えを公にするのには、心理的にかなり抵抗があるからです。
これが本音だったりします。
整体操法や愉氣を「神への祈り」とか恰好よく言いたくないんです。
よくよく人間の(自分の)無意識を、裏の裏まで観察していくと、どこまでいっても「神にまで仕送りを要求するような考え方」から逃れらない氣がします。
この心理に関して、現実的に自活しているしていない、は関係ないのです。
死が近づけば近づくほどそうなります。
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