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執筆者の写真湯本裕二

風邪を主観で捉える

人様の身体を拝見していて、風邪を引けるといいなあ、と思うわけです。


実際問題、操法をしてもそれ自体で身体が大きく変わることはないです。

どんな達人であっても、操法ひとつで癌を治したりとか、身体や意識を大いなる高みに導いたりなどは出来ない。今の私はそう認識しています。


身体が変化するには、その方の人生の上での大きな局面を乗り越えるか、死に直面するかの二つ。


象徴的に、死ぬか、新たに生まれるか、のどちらか。この瞬間でしか身体は変わらない。

むしろ、普段の操法は山場を迎えるための準備に過ぎないです。


風邪は常に微細で重大な変化を身体と意識に与えてくれる。

下手をすれば死ぬし、上手に使えれば身体が一新されるものです。

野口晴哉先生の『風邪の効用』では高等水準の技術と思想が語られています。

さらっと読む分にはいいのですが、技術者として観るととても難しい本なんです。


風邪はソクラテスが言うところの死の予行演習としては最適なもので、程よい負荷と猶予が身体と意識に与えられます。


実際問題、どうしても弛まなかった胸椎8番が風邪を契機に弛んだ時、風邪を引く前の自分と風邪を経過した後の自分は、はたして同じ自分自身と言えるのだろうか?


胸椎8番は副腎、心臓、胃、肝臓、血管の弾力、などに関わります。こういった処が指導者の指でなく、風邪によって自然に調整される不思議さは、やはり感じます。

「風邪の効用」は、自然の成り行きを受け入れた時に、はじめて成立します。


風邪を主観で捉えるならば、風邪を引く必要のある身体だから、引いた、ということになるわけです。必要が無ければ引かないのです。

「風邪が治る」というのはおかしな言葉なんです。

「風邪が正しく経過したから、風邪によって身体が正しく調整された」という描写の方が現実の成り行きを正しく描出しています。


風邪を受け入れられる自然な身体と意識を自然に創りたいものです。

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