猫に近い人間がいる。
悪い意味でないですよ。
日々操法をしていて様々な方のお身体に触れていますと、これはしんどいだろうな、という方がいます。
人間界で生きるには。
毎日操法をしているんですが、その量が一定数を超えると「人間」の概念が更新されます。
「人間」というものはこういうものだ、と義務教育などで習ってきたわけですが、どうも実際は違うようです。
実際に指で触れて、毎日お身体を観させて頂いているのですが、人により全然違います。
上手く言えないのですが、違うんです。
皆さま心臓があって、肺があって、胃があって、腸があって、脳もあるんです。
その点では皆同じなんですが、そういったところとは別の部分がまったく違うんです。
皆さま個性的です。
一人の例外もありません。
野口先生はこういったことを、「体癖」として類型化されました。
たんへんな偉業であると思っています。
そして「体癖」を考案する前には、キリン型とかなんとか、動物の名前を付けていたそうです。
以前は、「そうか~」という程度で受け取っていたのですが、なんというか、最近私は先祖返りというかなんというか、人間が動物に見える時があります。
具体的に言うと、先日猫に見える方がいました。
「体癖」を観て操法したりもするので、基本的にそういった観点から身体を観るのですが、なんかどうしても猫っぽいんですね、その方(笑)。
悪い意味ではないんですよ。
勘が鋭いっていうんですかね。
でもそれだけではないんですよ。
こういうことを、たんなる印象と捉えたり、前世が猫だとか、なんとかかんとかありますが、あんまりそういうことを言いたくないんですね。
そういう風には思ってないんです。
難しく考えたりしたくなくて、ただその方に猫を感じたんですね。
その自分の感覚を大切にしたいんです。
それだけのことかもしれないし、そこからまた、体癖とかの類型に結びついた人間理解が深まるのかもしれないし。
分からないんですけど、私の「人間」理解が拡張されたのは間違いありません。
とはいえそれだけの話なんです。
操法は普通に行うんです。
いつもの人間用の操法です(笑)。
でも、猫に操法してるみたいなんです。
不思議だなあっ、という感じです。
分かってもらえますかね?
この感じ。
氣楽に受け取ってくださいね。
この話(笑)。
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