同世代の方の操法は「これまでの経緯」の解像度が違ってくるんですね。
整体操法は身体だけで行うものでは無いのです。
言語野が介在するということです。
同時に聞かなくても分かるんですね。
特にわれわれは氷河期世代ですから、苦労したんだろうなあ、ということが明確に分かるんです。
どういう経緯を辿って来たかもわかるんですね。
面白いですね。
常識を共有しているんです。
操法が早まる場合と、遅くなる場合があります。
とにかく、操法は身体だけで行うわけでは無いんですね。
頭も使う、ということなんです。
同世代の方には、「慰労」と申しますか、そういう愉氣になります。
我々も、よく生き延びてきたねえ、と。
そういう愉氣になるんです。
どうしても。
ずっと割を食ってきたんですから、このくらいの特別扱いはいいでしょう!
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