操法をした方が、私の妻に私のことを「中性的な不思議な人で、バイセクシャルかと思った」と言っていたとのこと。
たまに言われるんですけど、自分には自覚はありません。
実際のところは性的にはストレートでとくに変わったところはないです。
野口整体では同性愛者は胸椎11番に何かが生じるということになっています。
自分の身体を自分で観ると胸椎11番から動くことが多く、これは性的なことや種族保存のためや本能的なものや腸の問題で動作が始まりやすい、ということを意味します。
この辺りに自分のこだわりというか潜在意識の何かがあるんでしょうね。
かつての日本には衆道などあり、(機能的)同性愛は珍しくはなかったわけですが、明治44年生まれの野口晴哉先生は同性愛が廃れていくその時代の流れの中にあって、どこか同性愛に否定的な印象を受けます。
この時代の男性としては普通の感覚であろうと思います。
時代かわって令和の現在ですが、性同一障害などは遺伝的な要因であるとされています。
私も同性愛者の胸椎11番を押さえたところで性的な志向が変わるとはもはや思ってないです(なかにはいると思います。遺伝情報ではなく観念で同性愛志向になった方も)。
愉氣が遺伝情報に影響を与える、とまでは思い込めません。
現在の状況は、遺伝的に決定されている身体の緩慢な状態と、それを取り巻く社会的環境の変化の速度の齟齬が非常に大きくなっていると思っています。
結局のところ同性愛とそこに付随する問題のほとんどは、可塑的である大脳新皮質、前頭前野や言語野と、基底的な身体との間の離接の問題であると考えています。
頭の問題であり、社会の言説との身体の距離の問題です。
今の時代に、同性愛を治すべき病とはしませんので、その性に関するほとんどすべてが社会の中でどの位置に自分の身体が位置するかを巡っての問題です。
だから頭の問題、思考の仕方の問題です。
このことを鑑みると、同性愛者やバイセクシャルの方々にアプローチするとしましたら、私は頸椎2番を通してになります。
自分の身体を自分でどう守るか。
社会と徹底的に距離を置くための身体技法、として野口整体を再定義していきたいと、私は考えております。
最初の話に戻しますと、私のことを「中性的」と感じる方は、私のこういった考え方と整体の捉え方に感応して言っているんでしょうね。
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