オラクルカード
- 湯本裕二
- 4月22日
- 読了時間: 2分
たまに氣紛れにカード引くんですね。
普段は自分の為だけにタロットカードを引いています。
現れるカードは基本的には偶然です。
偶然に現象するカードの象徴を解釈します。
ですので対象は自身の無意識となります。
自分自身の無意識を、自分自身の意識の側から、偶然現象するカードの象徴を介して解釈するんです。
真剣に没入しますと、自我が解体されます。
自分の未来を視る、というより、自身で定義している現実を現実としている、ラカンの言うところの「ポアンドキャピトン(クッションの綴じ目)」が断ち切られて、もう一度縫い直される感じです。
繰り返せば繰り返すほど、自分で自在にクッションを縫い直せるようになります。
現実の観方が変わるということです。
現実の観方が変わるということは、現実、つまり未来と過去が変わるということです。
カードを引いた瞬間自分を取り巻く現実が消えるんですよ。
自身の存在が数字と図形の象徴の連鎖に吸い込まれます。
象徴界というか、言語野、前頭前野と視覚野がその瞬間だけ独自の接続がなされます。様態はランダムです。
だから見落としていたことに氣が付くんです。
この間もいらした方がオラクルカードを引きました。
「ブログに載せて~」とおっしゃっていたので載せますが、さすがに質問と解釈については書けません。
他人の引いたカードの解釈に関しては、もう一段複雑になります。
逆向きに考えると簡単になるんですけど、でもまあ難しいです。
相手の無意識を観ながら、その相手の無意識と意識の中間ぐらいに向けて言葉を投げていきます。
その言葉をコントロールしているのは私の意識ではなく、カードの象徴です。
脳がカードで機能拡張されます。
カードが脳細胞の代替物になるんです。その瞬間、新しいニューロンのネットワークが出来るんです。
ですからこちらは変性意識状態になります。
この時、考えているのはカードで私ではないんです。
カードに観られている、という状態になります。
主体と客体が入れ替わるわけです。
偶然が考えている、という状態になりますので、この時ばかりは、必然とか運命、そしてそれらに隷属する自我の方が沈黙する訳なんです。

Comments