正式なタイトルは『あそぼうクマクマ なにしているかな?森のどうぶつたち』です。
レイチェル・ピアシーさんとフレイヤ・ハルタスさんの共著。
絵本なのですが、読み方がよくわからなかった。
うっちゃっていたんですが、ある瞬間に何をしたいのかがわかった。
わかる時が来るんですね。
何事も時間をかけると。
森のなかで多くの動物が思い思いに活動している様を描いている。
以前は目が滑ってただ可愛らしい擬人化された動物がわちゃわちゃしているなあ、という感想しかありませんでしたが、ふと顔を本に近づけてみると、単純に目が滑らない。
視点が目の前の動物に固定される。
そのまま視点を移動すると、動物たちそれぞれに別の時間が流れていることに氣づきます。
読み進めると、目を動かす時間が、動物の生きる時間と同調していく。
重要なのは感情を固定したまま観るということ。
感情は動かさないで視点を動かしていく。
ある厚みのある感情の幅を多くの動物や虫たちが上手に演じている。
動物の擬人化によって絵本が構成されているのは、すべての人種が感情移入することが出来るから。
宗教も肌の色も超えるため。
こういった感情。
この感情を中心に動物と虫たちが自然環境の中に布置されている。
みんな仲良く。
この左右型の太い感情に感応できなかったから、以前はよくわからなかった。
ある瞬間波長があった。
腰椎2番の3側が弛んだのだろう。
偽善ではない。
子供のための絵本だから。
これが教育。
感情教育。
そしてここには死が無い。
死は絵本の外にあり、消失点の向こう、子供の認識の外にあり、引き受けているのは現実の大人。
この絵本を大人が一人で読むと、それは逃避。
大人が子供と二人で読むと、自己防衛。
どちらも人生に必要不可欠なものと思います。
もう一つ付け加えると、この二つの自我の構えを振幅する大人を、子供はこっそり観察しています。
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